Posted by 新矢晋 - 2011.10.08,Sat
トッズ護衛就任中。
未分化の子供が悪い夢を見たようです。
未分化の子供が悪い夢を見たようです。
わるいゆめ
ぬるついた液体に纏わりつかれて、手足が動かない。嗅いだ事の無い、吐き気のするような匂いが鼻を突く。
――血だ。
気付いた瞬間、視界が晴れた。私は血だまりの中に座り込んでいて、呼吸さえ覚束無いほどの血臭にくらくらと目眩を覚えていた。
地面についた手に、何かが触れる。冷たくごつごつとした人の指。視線をゆっくりと這わせて、力無く投げ出された腕、奇妙に捻れた肩、倒れ伏した後頭部、と確認する度頭が冷えてゆき、嫌な予感が増してゆく。
――ソレヲミテハイケナイ!
無意識の警告を無視して、私はその男の顔を見た。
「――……!!」
悲鳴の残響が夜の空気に尾を引く。豪奢な寝台の上で身体を起こした私は、荒い呼吸を整える事さえままならず震える手を握り込んだ。
何度も頭を振って、悪夢の残滓を振り払う。……青ざめた死人の顔は、とてもよく知っている顔だった。
「トッズ、……トッズ……!」
彼の名を呼ぶ。呼んで聞こえる位置に居るかもわからないのに、みっともなく震える声で何度も何度も。寝台に突いたつもりの手は空を切り、床へ転がり落ちそうになったその時、私の身体は柔らかく抱き止められていた。
「はいはーい、ここに居るよ、レハト様」
間延びした、緊張感の無い声に泣きたいくらい安堵して、私は目の前の身体に縋りついた。干し草のような、埃と風の匂い。再度名前を呼ぶと、彼はしっかりと私を抱き締め返し、ぽんぽんと背中を叩く。
「どうしたの、怖い夢でも見た?
添い寝してあげたいのはやまやまだけど、そんな事したら爺様にすり潰されるからなあ」
我が儘は言わない、トッズに迷惑をかけたりもしない。ただもう少しだけこうしていてくれればそれで良い、そう言い募ると一瞬彼の身体が強張った。腕の中から見上げた時には既にいつも通りの笑みがあったから、本意はわからないままだけど。
乱暴に頭を撫でられてから、ぎゅっと抱き締める腕に力が込められる。耳朶に息を吹き込むように囁かれた言葉の熱に、私は身震いした。
「……あんまり可愛い事言うと、このままさらっちゃうよ?」
なんてねー、と冗談めかす彼の目はきっと笑っていない。私を抱く腕が、手が指が、きりきりとその力を増すのだから。
――私は構わない。
そう言ってしまえたらどんなに楽だろう。私には彼にあげられるものなど何も無くて、持ち物といえばこの身ひとつで、これを彼が欲しいというなら幾らだってあげていい。
黙って彼の胸に顔を埋めていると、ふっと彼の力が緩む。そっと見上げると、困ったような視線とぶつかった。
「ほんとにもう、困ったご主人様だねえ……」
額に降る口付け。
「いつも結構ギリギリなんだけど、うん。そんな顔されたら理性が仕事してくんないよね、こりゃ仕方ない」
そして次は、唇へ。触れるだけだったそれは段々と遠慮をなくし、うまく息継ぎさえ出来ない私は必死に縋りついているだけ。
彼の手が腰を撫でるくらいいつもの事なのに、びくりと反応してしまって顔が熱くなる。
「ああもうレハトは可愛いなあ、もっとしたいけど今はここまで。楽しみにしてるから早く大人になってね」
ぽんぽんと頭を撫でられてから、布団の中に戻される。
「おやすみ、レハト様。明日も忙しいんでしょ?」
去ろうとする気配に、思わず彼の服を両手で掴んでいた。彼が振り返る前に慌てて手を離し「なんでもない」と頭を振るも、既に彼の表情は緩みきっている。
「今日は随分寂しがりやさんだねー、なになに、やっぱり添い寝したげようか?」
頑なに頭を振り続ける私の本心などお見通しの彼は、しゃがみこみこちらの顔を覗き込んできた。……こういう時だけ真顔になるのはずるいと思う。
「甘える時には甘えなよ、いっつも『寵愛者様』の顔してなくたって、俺はレハトの事愛してるよ」
そう言って私の手を握るものだから、ぽろりと甘えが零れ落ちてしまう。
――添い寝はまあ冗談としても、私が眠るまで傍にいてほしい。……出来れば、手を握っていてほしい。
小さな子供のような台詞に我ながら恥ずかしくなってしまい、恐る恐る彼の様子を窺おうと視線を上げようとした瞬間、視界が塞がれる。彼が覆い被さるように抱き締めてきたのだ、と気付いた時にはもうその温もりは離れていた。
「……トッズ」
「ああもうそんな声で呼ばないの」
思いのほか名残惜しげな声が出てしまい、わしわしと頭を撫でられた。そのまま彼は寝台の枕元に腰掛けて、私の手を取る。
「ほら、握っててあげるから、寝なね?」
何故かこちらを見ずに言った彼の横顔が、いつもと違うように見えたのは、頼りない星灯りだったからだろうか。
朝、目覚めた時には当然ながら彼の姿は無く、欠伸を噛み殺しながら寝台より降りようとした私は手に何かが当たったのに気が付いた。
それは色鮮やかな端切れを縫い合わせて作られた小袋で、そっと手に取るとほんのりと懐かしいような匂いがした。「枕元に置くとよく眠れるらしいよ!」と書かれた紙片と共に置かれていたそれを、大事に手の上で撫でてから、引き出しに仕舞い込む。
――そして寝室を出た途端、不機嫌なローニカとご機嫌なトッズの舌戦を調停する羽目になるのだった。
《幕》
ぬるついた液体に纏わりつかれて、手足が動かない。嗅いだ事の無い、吐き気のするような匂いが鼻を突く。
――血だ。
気付いた瞬間、視界が晴れた。私は血だまりの中に座り込んでいて、呼吸さえ覚束無いほどの血臭にくらくらと目眩を覚えていた。
地面についた手に、何かが触れる。冷たくごつごつとした人の指。視線をゆっくりと這わせて、力無く投げ出された腕、奇妙に捻れた肩、倒れ伏した後頭部、と確認する度頭が冷えてゆき、嫌な予感が増してゆく。
――ソレヲミテハイケナイ!
無意識の警告を無視して、私はその男の顔を見た。
「――……!!」
悲鳴の残響が夜の空気に尾を引く。豪奢な寝台の上で身体を起こした私は、荒い呼吸を整える事さえままならず震える手を握り込んだ。
何度も頭を振って、悪夢の残滓を振り払う。……青ざめた死人の顔は、とてもよく知っている顔だった。
「トッズ、……トッズ……!」
彼の名を呼ぶ。呼んで聞こえる位置に居るかもわからないのに、みっともなく震える声で何度も何度も。寝台に突いたつもりの手は空を切り、床へ転がり落ちそうになったその時、私の身体は柔らかく抱き止められていた。
「はいはーい、ここに居るよ、レハト様」
間延びした、緊張感の無い声に泣きたいくらい安堵して、私は目の前の身体に縋りついた。干し草のような、埃と風の匂い。再度名前を呼ぶと、彼はしっかりと私を抱き締め返し、ぽんぽんと背中を叩く。
「どうしたの、怖い夢でも見た?
添い寝してあげたいのはやまやまだけど、そんな事したら爺様にすり潰されるからなあ」
我が儘は言わない、トッズに迷惑をかけたりもしない。ただもう少しだけこうしていてくれればそれで良い、そう言い募ると一瞬彼の身体が強張った。腕の中から見上げた時には既にいつも通りの笑みがあったから、本意はわからないままだけど。
乱暴に頭を撫でられてから、ぎゅっと抱き締める腕に力が込められる。耳朶に息を吹き込むように囁かれた言葉の熱に、私は身震いした。
「……あんまり可愛い事言うと、このままさらっちゃうよ?」
なんてねー、と冗談めかす彼の目はきっと笑っていない。私を抱く腕が、手が指が、きりきりとその力を増すのだから。
――私は構わない。
そう言ってしまえたらどんなに楽だろう。私には彼にあげられるものなど何も無くて、持ち物といえばこの身ひとつで、これを彼が欲しいというなら幾らだってあげていい。
黙って彼の胸に顔を埋めていると、ふっと彼の力が緩む。そっと見上げると、困ったような視線とぶつかった。
「ほんとにもう、困ったご主人様だねえ……」
額に降る口付け。
「いつも結構ギリギリなんだけど、うん。そんな顔されたら理性が仕事してくんないよね、こりゃ仕方ない」
そして次は、唇へ。触れるだけだったそれは段々と遠慮をなくし、うまく息継ぎさえ出来ない私は必死に縋りついているだけ。
彼の手が腰を撫でるくらいいつもの事なのに、びくりと反応してしまって顔が熱くなる。
「ああもうレハトは可愛いなあ、もっとしたいけど今はここまで。楽しみにしてるから早く大人になってね」
ぽんぽんと頭を撫でられてから、布団の中に戻される。
「おやすみ、レハト様。明日も忙しいんでしょ?」
去ろうとする気配に、思わず彼の服を両手で掴んでいた。彼が振り返る前に慌てて手を離し「なんでもない」と頭を振るも、既に彼の表情は緩みきっている。
「今日は随分寂しがりやさんだねー、なになに、やっぱり添い寝したげようか?」
頑なに頭を振り続ける私の本心などお見通しの彼は、しゃがみこみこちらの顔を覗き込んできた。……こういう時だけ真顔になるのはずるいと思う。
「甘える時には甘えなよ、いっつも『寵愛者様』の顔してなくたって、俺はレハトの事愛してるよ」
そう言って私の手を握るものだから、ぽろりと甘えが零れ落ちてしまう。
――添い寝はまあ冗談としても、私が眠るまで傍にいてほしい。……出来れば、手を握っていてほしい。
小さな子供のような台詞に我ながら恥ずかしくなってしまい、恐る恐る彼の様子を窺おうと視線を上げようとした瞬間、視界が塞がれる。彼が覆い被さるように抱き締めてきたのだ、と気付いた時にはもうその温もりは離れていた。
「……トッズ」
「ああもうそんな声で呼ばないの」
思いのほか名残惜しげな声が出てしまい、わしわしと頭を撫でられた。そのまま彼は寝台の枕元に腰掛けて、私の手を取る。
「ほら、握っててあげるから、寝なね?」
何故かこちらを見ずに言った彼の横顔が、いつもと違うように見えたのは、頼りない星灯りだったからだろうか。
朝、目覚めた時には当然ながら彼の姿は無く、欠伸を噛み殺しながら寝台より降りようとした私は手に何かが当たったのに気が付いた。
それは色鮮やかな端切れを縫い合わせて作られた小袋で、そっと手に取るとほんのりと懐かしいような匂いがした。「枕元に置くとよく眠れるらしいよ!」と書かれた紙片と共に置かれていたそれを、大事に手の上で撫でてから、引き出しに仕舞い込む。
――そして寝室を出た途端、不機嫌なローニカとご機嫌なトッズの舌戦を調停する羽目になるのだった。
《幕》
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