Posted by 新矢晋 - 2015.03.06,Fri
長谷部×審神者♀。忠誠以上恋愛未満。
拗らせきった忠誠心がしあわせでもありふしあわせでもあり。
拗らせきった忠誠心がしあわせでもありふしあわせでもあり。
幸福なくるしみ
「ああ……いけないね」
騎乗している僕たちより速いなんて化け物か。いや、僕たちははなからひとではないけれど、それにしたって。
馬で一気に接敵し陣形を崩してから乱戦に持ち込む、とか言っていたのは誰だっけ? その本人が真っ先に突っ込み大将首を落としているのだから作戦も何もあったもんじゃあない。
……案の定囲まれて傷だらけになっているというのに、笑っている。刀の本分を果たすのがそれほど楽しいのか、それとも、主の為にその身を削る喜びに酔っているのか。
彼の頭を割ろうとしていた敵の太刀を折って、僕はひとつ溜め息を吐いた。その瞬間、ぶわり、と背後で殺気が膨れ上がった。
振り返るのすら間に合わず背中から吹き飛ばされる。かろうじて身構えていた為背骨ごと持っていかれずには済んだが、地面に受け身すら取れずに叩き付けられ全身がばらばらになったかと思った。
息がうまく出来ない。霞んだ視界に見えたのは、ゆらゆらと紅色のもやを纏った大太刀だった。押し潰されそうな殺気。その殺気に満ちた空気を裂くように飛び出したのが誰かなんて、確認するまでもない。
巨大な刃が降り下ろされるのを持ち前の速さで掻い潜り、少しでも呼吸が乱れれば叩き潰されそうな状況の中、まだ彼は笑っていた。
「……ははっ、」
笑い声が聞こえる。ぞっと背筋が粟立った。己より一回りか二回りは大きな敵を相手取り、命を天秤にかけてなお、彼は。
だが彼が地面に軸足をつけた瞬間に振り下ろされた大太刀の刃は速く重く、この間合いでは回避は不可能。淡くけぶる紫水晶にうつったそれは、死、そのものに見えた筈だ。
肉と骨を断つ嫌な音。僕はこれをよく知っている。肩口から胸の中程まで食い込んだ刃は完全に命を奪い取るものだ、……僕たちが人間であったなら。
にぃ、と彼の口角がつり上がる。食い込んだ刃の根元を握り込む。そして。
「死ななきゃ、」
何よりも速い刀が。
「安いッ!」
大太刀の首を、貫いた。
「にっかり青江、へし切長谷部、重傷!」
まだ戦場に酔っているような彼を皆で引き摺って帰還する。まだ血の匂いが鼻孔に残っているような気がして、目眩がした。
うちの本丸では、中傷以上の負傷については帰還と同時に宣言し、主に対面する前に手入れ部屋へ入る事になっていた。報告を、と譫言のように言っている彼……長谷部を無理矢理手入れ部屋へと叩き込み、僕もまた同じように寝かされたところで意識は途切れた。
※ ※ ※
血肉を与えられ、戦場へ向かい、初めてひとの身の痛みを知ったときには確かに驚いたし困惑した。だが今ではその痛みさえ喜びの材料になる。この痛みは俺が主の為に戦った証だ、誇りにこそなれ疎んだりはしない。
――主は来て下さるだろうか。きっと来て下さる。
普段俺たちの手入れは職人に任されているが、中傷以上の傷を負った場合は手ずから手入れに来て下さることが多い。何より俺は近侍で、何かにつけ気遣って下さる主が俺にお声をかけて下さらない筈がない。
そっと目を閉じた俺は、痛みの割に安らかな気持ちで眠りについた。
目を覚ました時には夜が明けていた。傷を確認すれば既に直っている、時間経過による修復だ。
――主は、来て下さらなかったのか。
ぼんやりと思ったが、そんなことは些末な感傷だろう。それよりももう朝だ、早く主の元へ参じなければ。手入れ部屋を出て、主の執務室へ向かう。襖の前で己の身形を整え、一分の乱れもないことを確認してから部屋へ入る。
「へし切長谷部、ただ今参りまし……た」
机に向かい執務をおこなっている主はいつも通りだが、いつもと違うのはその隣に立っているのが俺ではないということだ。俺を見たそいつは、ぱちくりと目を瞬かせた。
「あっ! もう大丈夫なんですか、長谷部さん」
「……前田藤四郎」
何故お前が主の隣にいる。口に出しかけた言葉を飲み込んで、主に頭を下げる。
「ただ今戻りました、刀身、肉体ともに完調です。これより復帰しま、」
「長谷部」
主は前田から紙を受け取りながら俺の言葉を遮って、それからちらとこちらを見た。
「今日は内番に回れ」
「はい」
主命とあらば不満などあるわけがないのに、じりじりと無い筈の心臓が痛む。前田が主へ何か囁いたのを見て、その場所は俺のものなのに、と一瞬考えてしまったことに愕然とした。
――俺は何を。
吐き気がする。それを隠す為に俺は早々に部屋を辞した。
その日は馬の世話と畑仕事で潰れた。せめて手合わせくらいはしたかったのだがその余裕もなく、日が暮れてから主へ報告に行くといつものように対応され、休むようにと言われて一日が終わった。
次の日、俺はまだ近侍から外されたまま。落ち着かない気持ちで廊下を歩いていると、主が向こうから歩いてこられた。俺がご挨拶をしようとした瞬間、
「歌仙」
俺に目礼だけして隣を通り抜け、主は俺の後方にいた歌仙兼定へと話しかけていた。……また、じくりと胸の奥が痛む。
――俺は、いりませんか?
飛躍した考えに頭を振る。主が俺を近侍に戻さないのは、合戦ではなく遠征へ向かわせるのは、俺がこの本丸で最も練度が高い為、高難度の遠征に回されているだけのことだ。
背後から聞こえる主と歌仙の話し声がひどく耳障りに感じられて、いたたまれなくて、俺は走り出したくなるのを堪えて足早に廊下の角を曲がった。
次の日、まだ近侍には戻して頂けない。じくじくとした痛みはどんどん広がっていく。近侍は数人の刀剣男士が交代で務めているらしく、平野藤四郎、前田藤四郎、堀川国広辺りを中心にしているようだった。共通点としてはいずれも補佐として動くことが苦ではない性質だということだろうか。
ならば、俺以上に適任の者はいないだろうに。主のお考えがわからない。
――待て、俺は今、何を考えた……!?
違う。俺は主に疑心を抱いてなどいない。主は俺を信じて下さっている。鋭く強い刀だと、忠義心あつい刀だと、俺を特別に寵愛して下さっている。今まで俺は近侍を立派に勤め上げてきたし、それを主は十分にわかって下さっている、間違いなく。
ああ、痛い、何処だかわからない場所が痛い。
……数日後、俺は近侍に戻されたが、一度自覚してしまった痛みは消えない。何日もの間お側にいることを許されなかったことを不本意に思ってしまう。ただ純粋に主を信じていられないことが恐くて仕方なかった。
主の態度は以前と変わらず、俺に命を下さり、それを果たせばお褒めの言葉も下さる。だがその変わらなさが俺を追い詰める。
そして俺は、浅ましい問いを主へ投げ掛ける覚悟を決めた。
――俺は、あなたにとってどういう存在ですか。
「主」
書類の確認を終え椅子から立ち上がった主を呼ぶと、胡乱げな目が俺を見た。俺が自ら、命に関係のない状況で主を呼ぶことが少ないからだろう。
「お話があるのですが、」
「長くなるなら後でいいか、これを太郎太刀に確認させないと」
まただ。また主が俺ではない名前を呼ぶ。俺が絶句したのを了承と受け取ったのか、俺の隣を主が通りすぎる。駄目だ、やめてくれ、もう嫌だ!
「……?」
気付けば主の腕を掴んでいた。そのまま下半身の力が抜けて崩れ落ちる。
「捨てないで下さい!」
そのまま主の足にすがり付いて、俺は泣き叫んでいた。
「俺を捨てないで下さい、俺にはあなたしかいないんだ!」
形振り構っていられなかった、自分の感情が抑えられなかった、これではまるで人間みたいじゃあないか!
「何をすればいいんですか? 何をすればあなたの特別になれますか? 何を斬ればいいんですか、何人殺せばいいんですか、俺はあなたの為ならなんだってしてみせる!」
「長谷部」
「一人で厚樫山を攻略しろと言われればします、何度でも藤原氏を滅ぼします! だからお前が一番だと言って下さい、お前にすべてを任せると、お前さえいればいいと言って下さい!」
「長谷部」
二度呼ばれてようやく俺は我に返った。……そして血の気がひく。俺は刀の身で一体何を思い上がったことを言っているのだろうか。主の足から手を離し、正座して床に額を擦り付ける。
「……申し訳、ありません」
指が震える。恐怖と羞恥と混乱、自分がひとになったような錯覚。俺は刀だ、主の思うままに使われるために存在している刀だ、それが激情に身を任せこともあろうに主にすがり付いて泣きわめくなんて、けして許されることではない。
「俺、は……無礼を、」
「長谷部」
三度目。俺を見下ろしているだろう視線だけを感じる。
「私は審神者だ。たった一振りの刀だけを愛でて生きてはいけない」
主の言葉は俺に深々と突き刺さり、ほとり、と乾ききっていなかった涙が一粒落ちた。
「だが私はちゃんとお前を愛している。何を勘違いしたのか知らんが、捨てる日は永遠に来ない」
からだの奥深く、どろりと熱を孕む何かが胎動する。主の言葉が俺を縛る。崩れ落ちそうな、不定形の何かに主が形を与える。これがひとの心なのだろうか。それともかたなの心なのだろうか。
主がしゃがみこんだ気配がした、と思った次の瞬間俺の上半身が引き起こされて、
「愛しているよ、私の長谷部。安心して私に振るわれているといい」
視界が唐突に暗くなる。この温かいものは何だ。頭に添えられている主の手、顔に触れる柔らかで俺とはまるで違うにおいのするもの。
主の胸に抱かれているのだ、と気付いた瞬間頭が真っ白になる。喉がおかしな音をたて、呼吸が止まる。指一本たりとて動かせない。このまま受け入れるのと離れるのとどちらが不敬なのかすらわからない。……息が続かなくなるより先に、主の腕がほどかれた。
「あ、るじ」
俺の声はひどく間抜けに聞こえただろう。主はいつもと同じ、凪いだ水面のような目で俺を見ている。ゆっくりと立ち上がるその姿を眺めていると、立て、と言われたので慌てて立ち上がる。
「三度は言わない。……私はお前を捨てたりしない、次に言ったら処分する、いいな」
そして今度こそ主は部屋を後にした。
残された俺は呆然と立ち尽くしていたが、じわじわと痛みとは違う何かがからだの奥から沸き上がってくることに気付いた。歓喜に似ているが違う、この感覚は何だろう。
主が俺に下さった言葉を一言一句忘れないように繰り返し呟く。胸が苦しい。痛くはないが、ひどく、苦しい。だがこれは、
……これは、満たされた苦しさだ。
《終》
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