小説交換で書いた主オト。NLです。
夏祭りとうさみみと乙女さんと小春ちゃん。
夏祭りと子猫
「小春?」
穏やかな雰囲気の女性が、夏祭りのひとごみの中で足を止めた。
「小春!」
焦った様子で周囲を見回すその女性はどうやら連れとはぐれてしまったらしく、そしてその連れはどうやら年端もいかぬ子供らしく、視線は人々の足元を必死に泳いでいる。
白地に大輪の牡丹が配された浴衣は艶やかで女性の雰囲気によく合っていたが、焦燥しきった表情がその美しさを翳らせていた。
「どうしたの乙女さん」
飲み物を両手に持って小走りに駆け寄ってきたのは若い青年で、そちらへ振り返った女性はほんの僅かに落ち着きを取り戻したようだった。
「小春が、はぐれたらしくて……」
表情を引き締めた青年は飲み物のひとつを女性に持たせ、それから落ち着いた様子で。
「手分けして探そう。俺は警察署方面へ行くから、乙女さんは本堂の方へ行って役員さんに迷子放送をお願いして。それからそれぞれ探した、十五分後、石段の前に集合……いい?」
てきぱきと行動を決め、それから女性の肩へ手を置いて顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ、小春ちゃんしっかりしてるし。そんなに規模の大きいお祭りでもないし、そんなに遠くまでは行ってない筈だ」
こくん、と頷いた女性に柔らかく笑いかけてから、青年は人ごみの中へと早足に消えていった。
深呼吸をひとつ、胸に手を当てて少し目を閉じた女性は、それとは逆方向へと足を踏み出した。
女性は名を柳谷乙女といい、青年とは少し説明の難しい知り合いだった。
……かつて。世界が滅びかけた時、青年は彼女に手を差し伸べ、救ってくれた。
世界が再生された今もなお、青年と彼女との交流は続いており、彼女の娘もよく青年に懐いている。
恋人では、ない。しかし、単なる友人かといえばその距離は近すぎた。
二人は未だ曖昧な関係に名付けを行っておらず、触れることは出来ずかといって離れることも出来ないままもう出会ってから一年近くが過ぎようとしていた。
「小春!小春!」
娘の名を呼びながら周囲を見回す乙女は、鼻緒が食い込み足が痛むのも構わず歩き回った。
迷子放送にまだ効果はなく、出来ることといえばただ自分の足で探すことだけ。
――青年はどうしているだろう。彼は自分より年下であるというのにとても冷静で頭の回転が速く、何より判断力と決断力に優れている。もしかしたら彼が先に娘を見付けているかもしれない。
自分が思いのほか青年に頼りがいを感じていることに乙女は気付かず――気付かないように――また娘の名を呼びながら足を進めた。
* * *
「小春ちゃん!」
青年もまた少女の名前を呼びながら早足に歩いていた。冷静であるべく努めているが、それでも一度悔しげに下唇を噛んだ。
――自分がいない間に、こんな事になるなんて。浮かれて配慮を忘れた責任は軽くは無い。
歯噛みしながら周囲を見回していた青年は、視界の端を見覚えのある赤い浴衣がよぎった気がして足を止めた。
出店の途切れたところから木立へ。
「小春ちゃん」
木の根元に、泣きそうな顔をした赤い浴衣の少女がしゃがみこんでいた。
「……おにいちゃん?」
おずおずと青年を見上げた少女は、しかし泣き出すわけでも抱き着いてくるわけでもなく、何かばつの悪そうな顔をしてそこから動かない。
「お母さんが心配してるよ、一緒に戻ろう」
迷うように口を開きかけた少女の足元から、にゃーん、と獣の鳴き声がした。
ぴくりと肩を跳ねさせた少女がかばうより早く、青年は少女の足元に隠れる小さな獣を見付けていた。
「……猫?」
こくん、と少女は頷く。
「うしろ、ついてくるから……人の多いところはふまれちゃうとおもって」
「それでこんなところに隠れてたの?」
「……」
黙り込んだ少女を見下ろして、ああそれだけじゃないな、と察した青年は優しくその頭を撫でた。
「ちゃんと理由を教えてくれないかな。ちゃんと話してくれれば、怒らないから。……内緒の話なら、お母さんには言わないよ」
迷うように少し沈黙した少女は、それからぽつりぽつりと言葉を零す。
――つまるところ少女は、その子猫に情が移ってしまっていたのだ。
「お母さんにお願いして、飼わせてもらう?」
「ううん、……小春じゃ猫さんのお世話ぜんぶはできないし、お母さん、いそがしいから……」
青年は一瞬、悲しそうに目を細めた。
聡明で、素直で、心優しいこの少女が、その聡明さ故に母親にさえ遠慮してしまうたちであることを青年はとても悩ましく思っていた。
「大丈夫だよ、」
ひとつひとつ言葉を選んで、ゆっくり噛んで含めるように。
「俺からも頼んであげる。最後までちゃんとこの猫と暮らして、家族として大事に出来るなら」
「……うん。小春、猫ちゃんのお母さんになりたい。お母さんが、小春のお母さんになったみたいに、いっぱいあったかいものあげたいの」
その少女の言葉がいじらしくて愛しくて、青年は少女に手を回し抱き締めた。暫くの間息もせずに抱き締めて、それからゆっくりと腕をほどき少女の顔を覗き込む。
「それならきっと、お母さんも許してくれるよ。小春ちゃんがちゃんと猫の家族になるって、お母さんと約束しような」
「うん!」
ようやく立ち上がった少女の浴衣の帯を直し、草を払い落として、……それから子猫を拾い上げて。
「それじゃあ戻ろう。……多分、少しは怒られるだろうけど」
片方の手を差し伸べながら、青年は悪戯っぽくウインクをした。
「一緒に怒られようか」
少女はきょとんと瞬きをしてから、楽しそうに笑った。
「小春……!」
再会を果たした親娘。はたして青年の予想通り少女は叱られたが、事情を話すと情状酌量の余地があると判断された。
子猫を見た乙女はため息を吐いてから少女の決心を確認し、青年が説得するまでもなくあっさりとその子猫を飼う許可を出した。
「お母さん、いいの?ほんとに?」
不安げに見上げてくる少女を軽く抱き寄せて、乙女は柔らかいながらも少し複雑そうな笑みを浮かべた。
「いいのよ、お母さんは小春のわがままなら聞きたいんだから。だから……もっと小春のやりたいこと、お母さんに話してもいいの」
「お母さんに言いにくかったら俺でもいいよ」
青年がわしわしと少女の頭を撫でながら言うと、乙女は青年を見上げて一瞬息を呑んでから、困ったように微笑む。
「……困ったな、私よりよっぽど……」
「お兄ちゃんがお父さんならいいのにね、お母さん!」
呟きかけた言葉を遮るように少女が発した言葉に、乙女は慌てて少女の口を塞ごうと手を伸ばしたが……その手は、横から伸びた手に掴まれた。
その手から腕、肩、顔へとおそるおそる視線を上げた乙女はその先に、少し頬を染めて、けれど真剣な表情の青年を見る。
「乙女さん。俺……俺、じゃ、駄目かな」
ぶんぶんと頭を振って、意を決したように。
「俺、小春ちゃんのお父さんになりたい。つまり……」
その台詞を遮ったのは、背伸びをした乙女の唇。初めて触れたそれが、思いのほか柔らかいことに彼の頬へ触れた指が震えた。
《終》