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Posted by 新矢晋 - 2012.05.16,Wed
回帰した世界で、回帰前の記憶を引き継いでいるウサミミと、すこんと忘れているロナウドの話。
結局押しが大事なのである。

家に帰ったら知らない少年が出迎えてきた件について

「おかえり、ロナウド」
 にっこり笑いながら俺を出迎えた少年の愛らしさに思わず心臓が跳ねた。
 冷静に考えればここは俺の家で、相手は見知らぬ人間で、それなのに俺の名前を知っていて……状況は完全に異常なのに俺は何故だか危機感を覚えずにいた。
 高校生かそこらとおぼしき少年は俺の手を両手で包むと、まるで恋する乙女のように真っ直ぐな目で俺を見詰めた。その澄んだ青い瞳にくらくらする。
「あの時の続きを聞きに来たんだ、俺……」
「待て待て待ってくれ、何か勘違いをしていないか?……君は、誰だ?」
 兎に角少年から距離を取るべく一歩下がると、玄関のドアに背中がぶつかった。一瞬俺の顔によぎっただろう焦燥や困惑を見てとったのか、少年は悲しげに眉を下げた。
「……覚えて、ないんだ」
 ――ずきりと胸が痛む。何故だ。俺はこの少年を知らないはずなのに。
「仕方ないよね、ダイチやイオも覚えてないみたいだし……でも俺、ロナウドなら覚えててくれるかもって……」
 その綺麗な目が零れ落ちそうなくらい涙を溜めた、名前も知らない少年。
「……事情くらいは聞こうか」
 彼を俺は、放り出す事が出来なかった。


 少年は神宮寺湖宵と名乗った。
 詳しい事情は濁されたが、彼は俺とは顔見知り――というかもっと深い関係?――だったという。……こことは違う運命を辿った世界で。
 にわかには信じがたい話だったが、俺の名前だけでなく職業や嗜好まで言い当てられては黙るしかない。
 現実的に考えれば、興信所に俺の事を調べさせたとか、彼が俺のストーカーという可能性の方がまだ高い。けれど俺は、彼は、湖宵くんは信用できると思った。
「……こんな事、すぐに信じてもらおうとは思ってないけど」
 しょんぼりと睫毛を伏せてココアを啜る彼の白い手に、俺は思わず手を重ねていた。
「信じるよ」
 瞠目して俺を見た彼に頷いてみせると、
「ありがとう……!」
 彼は花が咲いたように、笑った。
 ――俺の心臓はいい加減に落ち着いてほしい。何故だかこの少年と一緒にいるとどきどきする、俺にはそんな趣味は無いはずなのに。
「俺、やっぱりロナウドが好き。どんな世界でも、ロナウドが好きだ」
 真剣な眼差しでそう言われて、息が止まる。全く嫌な気はしないのが困る。からからに渇いた口を開く前に、彼は慌てて立ち上がると頭を振った。
「ごめん!こんな事、急に言われても困るよね!」
「ああ、いや……」
 俺が次の言葉に迷っている間に、彼は上着を小脇に抱えて玄関へと向かう。最後に一度、振り向いて。
「俺、今度はロナウドが俺に恋してくれるように頑張るから!」
 固まった俺をよそに、彼は玄関から帰っていった。……ああ、どうやって俺の家に侵入したのか聞き出しそびれたな。


 ――それからというもの、湖宵くんはしょっちゅう俺の元へ訪れた。
 警察署にまで顔を出すものだから、同僚たちには「補導した少年になつかれた」と説明して誤魔化しておいた。嘘をつくのは心苦しいが、他にどう説明していいやらわからない。
 彼ときたら「皆さんで食べて下さい!」と手作りのお菓子やなんかを差し入れしてきたりもして、すっかり同僚たちとも打ち解けているし……湖宵くんが実は両親を早くに亡くしているという事を知ったデカ長など、すっかり彼を猫可愛がりするようになってしまい、この間など真顔で「俺の子にならないか」とかなんとか口説いていた。彼本人は冗談だと思ったのか笑って受け流していたけど、俺にはわかる。デカ長は本気だった。
「……そういえば、学校には行かなくていいのか?」
 そんなある日、署の近くのラーメン屋で昼食を食べながら俺が尋ねると、彼はきょとんとした顔でこちらを見返してきた。
「いや、年格好からして学生なのだとばかり」
 ず、とラーメンを啜ってから息を吐いた、その吐息に妙な色気があるから困る。俺の煩悶など知る由もない彼は、何故か嬉しそうに教えてくれた。
「俺、高校卒業してすぐに知り合いのところで働かせてもらってるんだ。早く一人立ちしたかったから」
「……そう、なのか」
「別に同情はいらないよ、単に早くロナウドを探しに行きたかっただけだし」
 噎せた。
 にこにこと俺を見詰める彼は、どうしてこんなに俺を好きだという事を隠さないのだろう。俺は未だに彼が言う「違う運命を辿った世界」の事を思い出せないし、同性を好きになる事なんて理解出来ないというのに。
 ――その世界の俺は、彼とどんな関係だったのだろう。いや、考えるまでもない、彼の態度を見るに恐らくは……恋人同士、だったのだろう。
 何故だか胸が痛んだ。
「あれ?ロナウド餃子残しちゃうの?もらっていい?」
「あ、ああ」
 幸せそうに焼き餃子を頬張る彼の横顔を眺めながら、こっそりと俺は溜め息を吐いた。




 ――その日は朝から雨だった。
 変死体が発見されたという連絡を受けた俺は出先から直接現場に向かったが、何故かその路地は静まり返り人の気配がしなかった。
 ……しかし、雨の中でもなお消えない鉄錆に似た匂い。独特の空気。俺はゆっくりと路地の奥へと足を踏み入れて、そして、見てしまった。
 雨で重たく湿った黒いコートの裾が、水溜りに浸っている。背を丸めるようにして屈み込んでいる小柄な身体の足元には、まるで内側から爆ぜたようにばっくりと腹に大穴をあけた死体。死体に携帯電話をかざして写真でも撮っているのかとも思ったが、違う。
「ディ・ア・ラハン」
 聞いた事の無い異国語のような、だが聞き覚えもある言葉。その言葉をコート姿の少年が口にした途端。まるで映像を逆再生するかのように死体が修復されてゆく。途中でその逆再生は緩やかになり、ごく一般的な凶器で腹部を切り裂かれた程度の傷口を残して停止する。
 呼吸をするのも忘れてその光景を見ていた俺は、少年が立ち上がった姿に漸くこの悪い予感の意味を理解した。
 ――その少年は、湖宵くんだった。
「……!!」
 俺に気付いた彼は驚愕の色をありありとその瞳に浮かべ、それからおろおろと周囲を見回した後にコートの裾を翻した。
「コヨイく、」
 慌てて追い駆けた俺の目の前で、彼の姿は掻き消えた。


 それから、湖宵くんは姿を見せなくなった。同僚たちに「喧嘩でもしたのか」と訊かれても曖昧に笑うしかない。
 信頼出来る先輩に、先日の件について――路地裏での超常現象について――それとなく訊いてみたら、真面目な顔で「その事は忘れろ」と言われてそれ以上は何も教えてくれない。彼本人に訊こうにも俺は彼の携帯番号すら知らない。
 ――俺は、彼に歩み寄ろうとすらしていなかったのだ。彼はあんなにも俺に手を伸ばしてくれていたのに。
 俺はまだ何も思い出していない。これから先も思い出さないかもしれない。それでもきっとこの胸に痛むものは、本物だ。


 その日もまた、雨だった。
 俺は湖宵くんに会いに行こうと決意していたが、手掛かりはまるで無い。休暇を使って聞き込みするのにも限界があって、俺は気が付くとあの現場に来ていた。
 ――俺と彼が最後に会った場所。今はもう何のへんてつもないその路地に俺は何となく足を踏み入れる。
 しんとしている。
 まるで街から切り離されてしまったようなその場所で、ふらりと足を進めたその瞬間。
「止まれ」
 凛とした、少し高い少年の声。
「止まれ、栗木ロナウド。陣が乱れる」
 先程まで誰も居なかった筈だ。思いの外近くから聞こえた声に振り返ると、年端もゆかぬ少年が立っていた。白に近い銀髪と、黒のロングコート。……その年格好に似合わぬ威圧感。
「ここは要だ、素人に荒らし回られては困る」
「君は……何を言っている、何故俺の名を?」
 至極もっともな俺の問いに、その少年は心底呆れ果てたように溜め息を吐いてから、俺を見た。身長は俺の方が大分上だというのに、見下ろされているような気がした。
「相変わらずだな栗木ロナウド、無知なる己を自覚もせんか。何故貴様のような凡愚にコヨイがこうも執着するのか理解に苦しむ」
 ……意味はわからないが、俺はこの少年にあまり好かれていないらしい。それよりも。
「コヨイくんを知っているのか!彼の行方を知らないか?!」
 彼の名を口にした途端、心臓を鷲掴みにされたような悪寒がした。俺は、何故だかこの感覚を知っている。そうこれは、……殺気だ。
 俺は今まで普通に暮らしてきて、刑事などという職にはついているが殺されそうになった事なんて無い。なのに俺はこの殺気を知っている。この年端もゆかぬ少年が発する、冷たく凍て付くような空気を知っている。
「貴様がその名を口にするか、恥を知れ!貴様にコヨイの隣に立つ資格などあるものか!!」
 ――頭が痛む。何かがぎしりと軋むような。
 彼の、湖宵くんの隣に立つ。それはとても大事な言葉のような気がした。立ち尽くす俺を一瞥してから立ち去ろうとした少年の肩を思わず掴む。射殺すような目で睨まれたが怯んではいられない。
「資格が無ければこれから作る。俺を彼に……コヨイくんに会わせてくれ」




 小一時間の説得の末げんなりした顔の少年から教わった場所へ俺は向かった。……俺が暮らすアパートよりよほど高級そうなマンション。その最上階の角部屋。
 部屋のインターホンを押すと疲れた顔の湖宵くんが顔を出して、俺を見て驚いてドアを閉めようとするが隙間に足をねじ込んで阻止する。
「話がしたいんだ、少しだけ俺に時間をくれないか」
 湖宵くんは泣きそうな顔をしながらも小さく頷いてから俺を中に招き入れた。広々とした室内はなんだかいい匂いがして、俺はこんな時なのに高鳴る心臓をいっそ止めてしまいたかった。
 彼の入れてくれたお茶を飲みながら、どう切り出したものかと悩んだ末、俺は。
「君は魔法使いか何かなのか?」
 ストレートに行く事にした。
 彼は虚を突かれたように目を丸くしてから、苦笑する。そして彼が告げたのは、やはりにわかには信じ難い事だった。
 この世界には人のあずかり知らぬ領分があるという事。日本はそういったものの脅威に常にさらされているという事。……その脅威から日本を守る組織が既にあるという事。
「俺はその組織で働いていて……色々訓練とかもしてるし、だから、ちょっと普通の人とは違うっていうか」
 ロナウドにもその素質はあるはずなんだよ、と笑った彼の事を俺はすとんと受け入れていた。だから彼は人と違う雰囲気を持っていたのかとか、天使のようだと思ったのはそのせいだという事にしておこうとか、少々脇道にそれた事を考えるくらいには余裕もある。
「それはわかった。だが何故逃げたんだ?急に顔を見せなくなって、心配したんだぞ」
「……それ、は……」
 もごもごと口ごもる彼を見詰める。消え入りそうな声で告げられたのは、
「……嫌われたく、なかったから」
 何ともいじらしい理由。
「ただでさえ男同士だし、年の差もあるし、……俺、胡散臭い人間だと思われたくなくて、なのにばれちゃったからどうしたらいいかわからなくて」
「そんな事気にしなくても、俺は別に……」
「だって!ロナウドは大人だし、刑事だし、真っ当な人間じゃないと隣に居られない!」
 ――隣に。
 そのフレーズが気にかかって仕方がない。ぎしぎしと軋む何かを抱えながら、俺は泣き出しそうな彼の目元に手を差し伸べて、きらきら光る青を見て、そして


 ――君と共に歩もう。そしていつか……。


「……いつか、」
「ロナウド?」
 感情の濁流が押し寄せて何をしたらいいかわからない。取り敢えずは目の前の彼を力一杯抱き締めて。
「いつか、君とこうして、抱き締めあえる日が来ればいいと……」
「……ろ、」
 どうして俺はこんなに大事な事を忘れていたんだろう。他の何を置き忘れても、これだけは手放してはいけなかったのに。何かの予感に震える彼の細い身体をしっかりと抱き締めたまま、俺は。
「……こんな俺だけど、一緒に歩いてくれるか」
 ――顔をくしゃくしゃにして頷く彼に、俺はそっと口付けを降らせた。


《終》

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